もう5日前のことですが、
こんなニュースがありました。

理研 笹井副センター長が自殺図り死亡

STAP細胞の件で追い込まれて
のことかどうか原因はわかりませんが、

メディアやネット上の書き込み等では、
「次の犯人探し」が盛んに行われています。

ほんの一例ですが、

「笹井氏、もっと早く交代させていれば」理研への批判も(朝日新聞デジタル)

「笹井さんを死に追いやったのはメディアではないのか!これについて長谷川さんの意見を伺いたい」
長谷川豊 公式ブログ 『本気論 本音論』 - ライブドアブログ
 

STAP細胞を巡っては、
これまで散々な批判がありましたが、

小保方氏が姿を表さなくなれば笹井氏に、
笹井氏が亡くなれば、また次の誰かにと、
批判の標的を探す連鎖に、恐怖を感じます。

なぜ、そうなってしまうのでしょうか?
メディアが悪いのでしょうか?

確かに、その責任の一端は
メディアにもあるかもしれません。

しかし、

朝日新聞がなければ、
日本は戦争をしなかったのか?

というと、そうではないでしょうし、
本質的な原因は、
わたしたち個人ひとりひとりに
あります。

以前紹介したとおり、
福沢諭吉も

楠氏の討死は後醍醐天皇の不明に非ず、楠氏をして死地に陥らしめたるものは別にこれあり。蓋し其これを、せしめたる、ものとは何ぞや。即ち時勢なり。即ち当時の人の気風なり。即ち其時代の人民に分賦せる智徳の有様なり。

(福沢諭吉『文明論之概略』) 

と、楠正成を
死に至らしめたとして

後醍醐天皇を非難するのは
筋違いで、
原因は当時の国民にある、
と述べています。


2・26事件で

「今回のことは精神の如何を問わず不本意なり。国体の精華を傷つくるものと認む」

として首謀者を叛軍と断じ、
強硬な討伐命令を出した
昭和天皇は、

開戦時にもかなり
国民の暴発を心配された
と伝えられます。

若しあの時、私が主戦論を抑へたらば、陸海に多年練磨の精鋭なる軍を持ち乍ら、ムザムザ米国に屈服すると云ふので、国内の与論は必ず沸騰し、クーデタが起つたであらう。実に難しい時であつた。

(『昭和天皇独白録』) 

「天皇は今度の戦争に遺憾の意を表し、自分は『これを防止したいと思った』といった。

するとマッカーサーは相手の顔をじっと見つめながら、
『もしそれが本当とするなら、なぜその希望を実行に移すことができなかったか』とたずねた 。

裕仁の答えは大体次のようなものだった。

『私の国民は私を非常に好きである。私を好いているからこそ、もし私が戦争に反対したり、平和の努力をやったりしたならば、国民は私を精神病院か何かに入れて、戦争が終わるまで、そこに押し込めておいたに違いない。また、国民が私を愛していなかったならば、彼らは簡単に私の首をちょん切ったでしょう』と

 (ジョン・ガンサー『マッカーサーの謎』(『昭和天皇独白録』の注釈より))


匿名で守られた
我が身を棚に上げ、

権力者を理想主義や
減点法で糾弾する、

といった大衆の傾向は、

特にわが国においては
昔からあることです。


それ自体、非常に悲しいこと
だと思いますが、、

今やその傾向が、

自らの生命の安全や、
損得にさえ関わらないところ
でさえも現れています。


まるで平和を持て余すが如く、
外野から正義を語り、
これを押し付ける振る舞いは、
厳にこれを慎むべきと思います。


何も生み出さない「内向き」の
「正義の味方ごっこ」はやめ、

すべての力を、
「将来」の建設に傾けて、
自ら世界の進運を担わんとする、

「外」向きの気風を、
広げて行きませんか?^ ^