もうすぐ読み終わります。




でも、読み終わる前に
まとめておきたいことが
あります。

日本の「平和憲法」は、
誰が作ったのでしょうか?

というのも、

安倍政権となってから、
憲法9条の改正が
議論に上るようになってます。

最近も、
「平和憲法を守ってきた
日本国民にノーベル賞を」
という動きもありましたよね。



そうしたことを考える
前提としても、

今の日本国憲法が
どうやって出来たのか?
を知っておくことは
大変有意義だと思いました。

この本から得られた
情報を中心に、
簡単にまとめておきます。

もうすぐ文化の日
でもありますし。

☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.



まず成立までの
経緯をまとめますと、

終戦の翌年、
1946年の1月に、

幣原首相とマッカーサーの
対談で、

日本の戦争放棄
について
話されたということです。

どちらからの提案だったか、
ハッキリとわからないようですが、
半藤さんはマッカーサーが
言い出したのではないかと
見ているようです。

その翌月の2月に、

GHQは日本政府による
自主的な憲法改正作業※

見切りをつけ、

独自の草案作成
踏み切ることとした
ということです。


※詳細は以下をご参照
政府として正式に憲法に関する調査研究を開始することとし(担当大臣は松本烝治国務大臣)、同年10月25日には松本を委員長とする憲法問題調査委員会(松本委員会)を設置した[9][10]。
 
憲法問題調査委員会は、当初、調査研究を主眼とし、憲法改正を目的としないとしていた。しかしやがて、憲法改正の気運が高まってきたとの認識から、改正を視野に入れた調査へと転換し、顧問・各委員が改正私案を作成した。

同年12月8日の第89回帝国議会・衆議院予算委員会において、憲法問題調査委員会の活動について質問された松本国務大臣は、私見であると断った上で「天皇が統治権を総攬するという大日本帝国憲法の基本原則は変更しないこと。」「議会の権限を拡大し、その反射として天皇大権に関わる事項をある程度制限すること。」「国務大臣の責任を国政全般に及ぼし、国務大臣は議会に対して責任を負うこと。」「人民の自由および権利の保護を拡大し、十分な救済の方法を講じること。」の四点、いわゆる松本四原則を憲法改正を検討する上での基本方針として挙げた[11]。
 
1946年(昭和21年)1月には、それまでの議論と松本四原則を踏まえ、松本国務大臣みずからも私案を作成した(「憲法改正私案(一月四日稿)」、松本私案)[2]。この私案は、憲法問題調査委員会の委員であった宮沢俊義東京帝国大学教授が要綱のかたちにまとめ、後に松本自身が修正して「憲法改正要綱」(甲案、松本試案)となった[3]。

またこのとき、大幅な憲法改正案も用意すべきであるとの議論から、「憲法改正案」(乙案)もまとめられた[12]。同年2月8日、「憲法改正要綱」とその説明書である「憲法改正案ノ大要ノ説明」等がGHQに提出された。この要綱は、閣議で議論にかけられ、天皇にも上奏したものの、正式な政府案として閣議で了承された文書ではなく、この案に対するGHQの意見を聞いた後に、正式な憲法草案を作成することを予定していた[3]。
 
この提出に先立つ同年2月1日、毎日新聞が「憲法問題調査委員会試案」なるスクープ記事を掲載した[13]。記事の内容は、実際には委員会がまとめた案ではなく、宮沢俊義委員が試みに作成した「宮沢甲案」にほぼ相当するものであった[14]。

この「宮沢甲案」は、各委員が作成した私案の中では比較的リベラルな内容とされていたものの、毎日新聞をはじめとする新聞各紙は社説で「保守的・現状維持的」であるとして委員会の姿勢を批判した。

また、GHQも記事の内容と世論の動向を分析検討した結果、日本政府による自主的な憲法改正作業に見切りをつけ、独自の草案作成に踏み切ることとした。なお、この決定の背後には、日本に対して強硬な主張を行うことが予想され、GHQの権限を大幅に制限する極東委員会の活動開始が、同年2月26日に迫っていたこともあった。

wikipediaより) 

そして、2月21日、
GHQ案が政府に渡りました。

この時、困った日本政府が
幣原首相に調整の希望を
託したようですが、

マッカーサーからは、
「48時間以内に回答せよ」と
告げられたとのこと。

このGHQ案ではハッキリ、
戦争放棄が書かれていて、

天皇の地位の部分と併せて、
日本政府側からは随分色々と
意見・反論があったようですが、

かなりの部分は
受け入れられなかったようです。

二月の二十一日、これはGHQ草案が渡り、その内容を確認するという意味で幣原首相がマッカーサーに会ったときでございますが、そのとき幣原は、こうした高度な理想を掲げて戦争を否定する、軍備を持たない、それについて疑問を呈したわけであります。マッカーサーは、日本はこういう高次の理想によって世界にモラルリーダーシップをとるべきだということを言いました。幣原は、そのとき、そういうリーダーシップをとっても、だれもついてくる者はないだろう、ノーフォロワー、フォロワーはないだろうということを言った。そうすると、マッカーサーは、フォロワーがなくたって、何の失うこともない、なくてもともとであると言って反論した。
 つまり、そういう議論があったということは、幣原が発案者であればあり得ないことでありました。

 さらに、細かいことは省きますが、後にも日本の政府筋から、軍備とか戦力を持たないというのは、本当はどれぐらい以上がいけないのだろうかという打診が何度か行われていたのですね。それで、打診しても、だめと言われているわけであります。そういうことからして、幣原が発案者であるということはあり得ないわけであります。
 ただし、これは全く推測でございますが、後にも触れますが、九条一項、すなわち、これは一九二八年の不戦条約を起源としておりますが、国際紛争解決の手段として武力の行使や武力による威嚇は行わないということを幣原が指示していた可能性は十分あります。それを言ったかもしれません。あるいは、もしかして、憲法の中にこれは入れてもいいということは考えていたかもしれませんし、言ったかもしれません。しかし、前後を見ますと、戦力を持たない、軍備を持たないということを幣原が考えていた、ましてや、それを申し出たということはとても考えにくいことでございます。
 
 さて、発案者をめぐる議論は以上でございますが、GHQの中で憲法起草が始まりましたのは、既に西先生を初めとしていろいろな御紹介があったと思いますが、二月になりまして、二月三日にマッカーサーが、次の論点は必ず入れてくれと言って、マッカーサー・ノートというので三点を挙げて、これを踏まえて憲法をつくるようにというふうに言いまして、二月四日に着手いたしまして、二月十日、GHQの民政局がつくりました民政局草案ができたわけであります。この間、四日から十日ですから、七日間でできた。前後を加えても九日ぐらいであります。
 
 そのマッカーサー・ノートの中には、一つ目になかなか興味あることが書いてあるわけで、天皇は国の最上位にある。天皇はヘッド・オブ・ザ・ステートとは書いてあります。エンペラー・イズ・アット・ザ・ヘッド・オブ・ザ・ステート、天皇は国家のヘッドの地位にあると書いてあるのですね。元首だとは書いていないのですが、微妙な表現で、割合天皇の高い地位を認めていると言っていいと思います。
 第二番目が非常に問題でありまして、日本は、国権の発動たる戦争は廃止する、紛争解決の手段として、さらに、みずからの安全維持の手段としても戦争を放棄するというのが出てきたわけであります。つまり、自衛のための戦争までも否定する内容をマッカーサー・ノートは含んでおりました。

第147回国会 憲法調査会 第6号(平成12年4月6日(木曜日))より
北岡東大教授発言)

天皇は、「最も徹底的な改革をするがよい。たとえ天皇自身から政治的機能のすべてをはく奪するほどのものであっても、全面的に支持する」という。それで幣原は最後の腹を決めて、閣議に臨み、詳細な報告を行った。

閣議や議会では
激論が交わされます。

ただ、議論といっても、

「こんなのは認められない」とする
反対派を、
「こうなったら仕方ない」
「天皇陛下もご納得されている」
といって説き伏せる、

「いつもの空気」
だったものと思います。


そういうわけで、閣議もごたごたしましたが、最後に幣原さんが閣僚に言いました。
「主権在民と戦争放棄は、総司令部の強い要求です。憲法改正はこれにそって立案するよりほかにない」
(『昭和史』より。以下、特に注記ない限り同様)

国会質疑で吉田さんは「ごまかし」の答弁を繰り返すのですが、彼は直接GHQとやり合ってきた人です。
GHQ案は日本には合わない、受け入れ難い強引なものではあっても、
これを飛ばしてしまえばまた一からやり直し、天皇陛下の身柄の問題も再燃するに決まっています。


GHQ側との交渉も重ねられ、
GHQ案は少しずつ手直しされて、
やがて全条項が可決されます。

1946年11月3日に交付されて、
翌年5月3日からの施行
となりました。

☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.

憲法の成立ひとつとっても
これだけ色々あって、

何となくわかっていたことでも、
詳しくみていくと、面白いです。

この後さらに、
安保問題があります。

詳しくは書きませんが、

講和条約の締結前には、
一転、再軍備を求める
アメリカに対して、

吉田首相は
「日本は再軍備などできましぇん!」
などと言ってこれを
強硬に跳ね除けたようですので、

もし平和憲法をつくった
マッカーサーにノーベル平和賞が
授与されるようなことがあるなら、

吉田さんにも何か授与されても
いいのかもしれません。

なかで一番面白いのは六月二十二日の交渉で、再軍備、再軍備というダレス(注:米国特使)に吉田さんはひと言、「たとえ非武装でも世界世論の力で日本の安全は保障されると思うのであります」とやったんですね。「ダレスは目を丸くして「不思議の国のアリスに会ったような気がする」とつぶやきました。

反対に、
その後、公職追放されていた
鳩山一郎さんが首相になると、

「再軍備を意図する憲法改正を実行する」

と記者会見で表明します。

結局、憲法の改正は
なされなかったのですが

その後、石橋内閣を挟んで
A級戦犯だった岸さんが
首相になると、

また軍備拡張路線。

憲法改正までは
至らなかったものの
安保条約は改正されます。

この岸さんは、
安倍首相の祖父ですから、

現代の政治の話にも
繋がるものがありますね。

☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.

三学期になって
授業の時間が足りずに
「自習」になってしまう(笑)

昭和史。

海外で/外国人の方と
働く 機会も多い現代に、

「これは知っておいて良かった」
と思うようなことが
たくさんありました!