※ 先日開催された「シロートーーク!」より,秋山氏の発表内容を紹介します

「エヴァンゲリオンはどうして14歳しか乗れないのか
- オタク的アイデンティティの確立 -」

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 自己肯定と劇場版における「裏切り」

社会現象にもなったアニメ,「新世紀 エヴァンゲリオン」

そのTV版放映時,氏は主人公「碇シンジ」と同年齢の14歳であったという

秋山氏はまずTV版の最終回のやり取りを紹介してくれた
 
シンジ「逃げちゃだめだ」


レイ「どうして逃げてはいけないの?」

シンジ「逃げたら辛いんだ!」

レイ「辛いことから逃げ出したのに?」

シンジ「辛かったんだよ!」

アスカ「辛いことが分かってるんなら、それでいいじゃん」

ミサト「そう。辛かったら逃げてもいいのよ」


レイ「本当に嫌だったら、逃げ出してもいいの」


シンジ「でも嫌だ!逃げるのはもう嫌なんだよ!」

シンジ「そう、逃げちゃだめなんだ!」

ミサト「それは、ただ逃げるほうがもっと辛いと感じているからよ」

アスカ「逃げ出した辛さを知ったから」

レイ「だから逃げるのが嫌なのね」


シンジ「だって、逃げ出したら誰も相手にしてくれないんだ!」


シンジ「僕を捨てないで。お願いだから、僕を捨てないで!」

シンジ「僕には何もない。何もないんだ」

シンジ「僕にはない」

シンジ「僕は、僕が嫌いなんだ」


ミサト「だから、そうやって人の顔色ばかりうかがう必要なんてないのよ」

シンジ「でも、みんな僕が嫌いじゃないのかな?」

アスカ「あんたバカぁ?あんたが一人でそう思い込んでいるだけじゃないの!」

シンジ「でも、僕は僕が嫌いなんだ」


レイ「自分が嫌いな人は、他人を好きに、信頼するようになれないわ」

シンジ「僕は卑怯で、臆病で、ずるくて、弱虫で」

ミサト「自分が分かれば、優しくできるでしょう?」

シンジ「僕は僕が嫌いだ」


シンジ・アスカ・ミサト「でも、好きになれるかもしれない」


シンジ「僕はここにいてもいいのかもしれない」


シンジ「そうだ、僕は僕でしかない」

シンジ「僕は僕だ。僕でいたい!」

シンジ「僕はここにいたい!」


シンジ「僕はここにいてもいいんだ!!」

 

主人公シンジは,たいそうな兵器を操縦してたいそうな敵と戦うが
結局は誰しもが抱える心の課題

『自分は生きていても良いのか?』

に対して向き合い,自らがそれを認めることによって克服する話であるエヴァは,
「自己肯定の話」と,秋山氏は解説.

当時14歳の秋山少年も心が救われたとか.


ところが,秋山少年はその後の「劇場版を見てショックを受けた」という
TV版を上回る圧倒的なクオリティに途中までは大満足,
問題はもちろん最後のシーンだ

映画版「エヴァ」では

「アスカと2人だけになった世界で,
シンジはアスカから『捨てられる』恐怖にとらわれ,
意識を失っているアスカの首を絞める

アスカは目覚め,そんなシンジをバッサリ
『気持ち悪い』」


TV版から大きく方向転換したそのラストは秋山少年にとって衝撃だったようだ



 なぜ14歳なのか 

結果がどうであれ,

このように「自己がいかに承認されるか」がテーマであった「エヴァ」だからこそ
「アイデンティティが未完の14歳」が主人公である必要があったと 秋山氏はみている

(実際のエヴァのパイロットとしての要件は,それ以外にも色々な設定があるが)
「少なくとも自己が完成されているオトナはエヴァとシンクロ(同期)できない」そうだ


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秋山 広行

新潟県出身.TVバンクにて映像配信のシステム開発に従事




(秋山氏のお話を受けて所感)

 アニメを見ると時代の流れがわかる

絶対的な権力(いわゆる「大きな物語」か)が失われ,

個人に主権が移って世界が相対化(いわゆる「ミクロコスモス」化か)する中,

「自分は何者なのか」
「自分は世に存在して良いのか」

という命題は確実にメジャー化しつつある


この答えは,

一度は1995年に(秋山氏が指摘するように)エヴァTV版の

「まず自分自身が認めるところから」

にて解決をみたが,

阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件を経て

劇場版の

「やっぱり他者に認められなきゃだめだ」 →でも結果は拒絶

となっている

その後の「セカイ系」や「まど☆マギ」,
そして秋山氏もおすすめの「ピングドラム」がこの命題にどう答えを出しているのか,
このテーマは一度自分なりにもまとめてみたい

個人的には

セカイ系により示された理想に対して,より現実的な解決策として
「まど☆マギ」 や「シュタゲ」における「愛」や「神秘主義」がある気がしている
「ピングドラム」もこれから見なければなるまい