イケガミコフ『21世紀の生存戦略』

新卒外資コンサルからIT企業社長となった著者が、自身の備忘も兼ねて日々の心境を綴るブログ。なるべく毎日更新。読者の皆さんと一緒に21世紀を生き抜く力をつけていくのが目的です。左脳的切り口で右脳的題材でも取扱うことを特徴として、世の中の出来事から、その裏にある時代性を読み解いていければと思います。その上で、時代性に合う生き方、新しい生きる力を提案し、自らも実践したい。なかでも、個人が個性を発揮して生きることをメインテーマに据えたいと考えています。

2013年09月

昭和という時代について

いまから2週間ほど前のことだ。

ぼくは母の誕生日に贈る
サプライズビデオを撮るために、
親戚の家を訪れていた。


ひと通り必要な撮影を終えた後、
ぼくはいつの間にか

親戚夫妻の幼少期の話を
食い入るようにして聞いていた。


 ☆ ☆ ☆


親戚のおじさん・おばさん(仮)は、
戦中または戦後すぐの生まれ
ということだったので、

小学校時代の話だと1950年代、
高校時代の話は60年代
(昭和20~30年代)
といったところだろうか。

たかだか50~60年前の話だ。


それなのに、
日本は相当貧しかったみたいで、

教科書で知るのと、
身近な人から知るのとでは


全然違う。


 ☆ ☆ ☆


苛烈すぎて
ここに到底書けないことも
多いのだが、

差し支えない範囲で例を挙げると、

小学校には
ふんどしに着物、下駄で
通っていて、

学校では
栄養失調にならないように
飴が配られて、

配給通帳でお米をもらい、

高校の同級生に家の無い子も
いたという。


 ☆ ☆ ☆


いや、
戦中や戦後すぐは
確かにそういうイメージだ。

でも、それ以降の昭和というと、
どうしても
「高度経済成長」のイメージが強い。


「(昭和)30年代も
まだまだ貧しかったのよ」

とは

この時、話を聞くまで知らなかった。


ぼくが生まれるほんの20~30年前、
つまり親よりちょっと上の世代でも

日本がそんなにカオスだったとは!


 ☆ ☆ ☆


この日ぼくは、

常日頃、戦中終戦時の先輩方に
深謝することはあっても、

その後の昭和を生き抜いた先輩方に
感謝の念を抱くことが無かったことを
深く反省した。

この人たちのこの努力がなかったら、
今の豊かな日本は無かったのだ――。



肝心の泥くさい話が
あんまり書けなかったので
(内容的に自粛)

説得力がないかもしれないけれど、


それは皆さんが実際に、
まわりの70歳くらいの方に
聞いてみて、確めて欲しい。


平和ボケが吹っ飛ぶかも?





当たり前のようで当たり前じゃないこと

昨晩、ぼくは
自宅マンションの玄関前で
途方にくれていた。

こんなことは、
冬に家の鍵を無くしたとき以来だ。


今回、鍵は持っていた。

代わりに無かったのは、
片足の自由だった。


ひょんなことから骨折したのだ。



病院で松葉杖をもらった時は、
これさえあれば、どこへでも行ける
と胸を躍らせた。


しかし、実際は違っていた。


自宅から300メートルほど離れた
ファミマまで往復する間に

服は汗でびしょ濡れになり、
欲張って食べ物と飲み物を満載した
ファミマの袋はボロボロに引きちぎれ、

松葉杖は支える力を失った腕のかわりに
ぼくの脇にくいこんでいた。


周囲から
同情と好奇の視線を浴びながら、

ぼくは松葉杖に引きずられるように、
のろのろと進んだ。

10メートル進むごとに
杖に寄りかかって休みながら。



そうして、ようやく
自宅マンションの玄関前まで
たどり着いて、たまらず
手すりに座って一息ついたのだった。


いくら吸っても酸素が追いつかず、
代わりに汗は滝のように溢れ出て
地面に水溜りをつくりそうだった。



玄関前まで戻りながら、
こんな風に

しばらく休まなければ家に帰れない

という奇妙な状況は、もちろん、

この松葉杖が

このコンピュータとネットの時代に、

古典力学の原理しか使わない
クソッタレなポンコツ老いぼれ道具
だから

では、ない。


わが国が

下らないことにアホみたいに
税金を無駄遣いして

一向に
バリアフリー化が進まないから

でも、ない。


ひとえにぼくの
日ごろの運動不足である。


思えば、日ごろ、
ドアの開け閉め以外に
腕の筋肉を使うことなど無いし、

腹筋だって、
階段の昇り降り以外に使っていない。

もう少し鍛えておけばよかった。


こんなことでは、
天変地異で生命の危機に瀕したとき、

まっさきに死ぬことになるだろう。

そうなってからでは遅い。



また、

そんなふうに
日ごろの備えも大切だけど、

日ごろの当たり前への感謝も
忘れないようにしたいと、


失ってから気づく。


そういえば、
前回記事でも紹介した本に、
こんな歌が載っていた。

たのしみは
朝おきいでて
昨日まで

無かりし花の
咲ける見る時

(橘曙覧)



不自由な目にあって初めて

いつもの当たり前が
当たり前じゃない


ことに気づかされた。



未曾有の脅威(ブラックスワン)
が訪れる時代だからこそ、

日ごろの当たり前の幸せに感謝して、
それに胡坐をかかず
危機に備えることが大事だと

痛感した一日だった。








「原子爆弾とジョーカーなき世界」感想




今さらですが、読みました。

批評家という職業は、

クリエイターや事業リーダーとは
対極にあって、

そうした実行者の側からすると、

ともすれば
後方の安全な場所から
好き放題にケチをつける

非生産的な存在、

として映ることもあるだろう。

しかし、この本を読むと、
批評家にもプロがいることがわかる。


宇野氏やサブカル批評に
それほど馴染みのない方に
簡単に紹介しておくと、

宇野氏はアニメとか
アイドルとかゲームといった
サブカルチャーの評論で有名な人で、

本書はダ・ヴィンチという
雑誌に連載されていた記事を中心に
まとめたものである。

また、サブカル批評というのは例えば、

「震災やAKB以降、
現実がファンタジーより先行している」

とか、

「エヴァQの中では男性社会と
女性社会の対立が描かれている」
といったような

「意味合い」

を作品から抽出し、

それが良いとか悪いとか、
なぜそうなったのかとかを
論じるようなもの。


「呪文を唱えると、
人間と世界の結ばれかた、
関係性が変化する」(同書)

というもの。



宇野氏が本書で扱っている論点を
私が同氏よりずっと下手くそな文章で

ここで述べることには
あまり意味はないと思うので、

内容に興味がある人は、
是非直接本書を読んでほしい。


それぞれの論点について

ひとつひとつ別の切り口
または結論でもって

論じることには意味がある
かもしれないけれど、

それを始めたら
とてもこの記事の中に
収まりそうにないので、

本稿では単に本書の魅力について
簡単に触れて終わりにしたい。



前置きが長くなりました。



私が感じた本書の魅力。

もちろん、
一見関係ない点と点を
つなげてしまうような

切り口の鋭さ
は、ある。


結論にも殆ど納得、
共感できる。


でもそれはみんなが
わかっていることだろうから、


それ以外に2つ挙げたい。

ひとつは、言葉選び


著者の磨かれた感性と
緻密な計算で精選された言葉からは、

批評家という職業が
作家同様に言葉で飯を食う仕事

なのだと思い知らされた。


なるべく客観的に言葉を紡ぐ、
コンサルやジャーナリストとの違い

でもあるかもしれない。


内容は理路整然として
左脳的なのだけれど、


表現は右脳に心地よく届くような。



例えば、

「AKB48という存在が体現する【肯定性】」

「自分の世界(【胎内】)にあらゆる子どもたちを吸い寄せて肥大していく母性」

「想像力が【動員】されていた」

「現在を記述し未来を【書き換え】るポテンシャルを示す危険なシステム」

「アメリカ市民社会を根本から問い直す【射程】を見せた」

「この作品は間違いなく【時代と寝ている】」

「滋子の圧倒的な(おそらくは清盛を上回る)【世界への信頼】」

(同書より。スミ括弧は筆者注)


こうした言葉選びが、
ネットコミュニティの文脈の

ほどよい延長線上にあって


心地よい。


それから、
批評家としての志と覚悟


宇野氏は
大河ドラマ「平清盛」における
「兎丸」と自身を重ね合わせて、

「僕らを必要としている
体制内の改革者たちに

『平家にあらずんば……』

と言わせるのではなく

『海賊王に俺はなる』

と言わせ続けなければならない」(同書)

とし、作品の構造に触れながら

現実世界における
自身の使命感に触れている。



具体的には、


「『昼の世界』からは
見向きもされない『夜の世界』で培われた、

思想と技術――

ここにこの国を変えていく
可能性が詰まっている。

僕たちはそう確信しているのだ」

とし、

「(あたらしい)文化を
つくっていきたい」、

「具体的には、たとえば僕は
都市部のあたらしい
ホワイトカラー層を中心に、

『夜の世界
(※筆者注:サブカルチャーやネット世界)』

を生きる人々の保険や組合を
つくれたらいいな、と思っている」

という。


こうした志と覚悟を持って
行動する批評家に、


「後方からケチをつけるだけ」
という批判はあたらない。


もはや活動家という気もする。


最初の職業として
コンサルを経験したこともあるけれど、


最近特に

コンテンツづくりにおける編集者や
プロデューサーの役割の重要性

を痛感している私としては、

新しいタイプのこの「攻める」

プロ批評家の宇野氏から



目が離せない。




 
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自己紹介
ユーゴスラビア生まれ。理工学部を卒業後、A.T.カーニーに入社。様々な業界のコンサルティングを手がけた後、エブリスタ立上げに携わり、同社代表取締役社長に就任。15年3月末に退任し、現在はメディア企業のデジタル戦略コンサルを手がける。グロービス経営大学院「ネットビジネス戦略」講師。
このブログについて
▼新卒外資コンサルからIT企業社長となった著者が、自身の備忘も兼ねて日々の心境を綴るブログ▼なるべく毎日更新▼読者の皆さんとご一緒に、私自身も「21世紀を生き抜く力を」つけていくのが目的です▼「左脳的切り口で右脳的題材も取扱う」ことを特徴に、世の中の出来事からその裏にある「時代性」を読み解いていければと思います▼その上で時代性に合う生き方、新しい生きる力を提案し、自らも実践していきます▼なかでも「個人が個性を発揮して生きる」ことを中心テーマに据えたいと考えています。
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