イケガミコフ『21世紀の生存戦略』

新卒外資コンサルからIT企業社長となった著者が、自身の備忘も兼ねて日々の心境を綴るブログ。なるべく毎日更新。読者の皆さんと一緒に21世紀を生き抜く力をつけていくのが目的です。左脳的切り口で右脳的題材でも取扱うことを特徴として、世の中の出来事から、その裏にある時代性を読み解いていければと思います。その上で、時代性に合う生き方、新しい生きる力を提案し、自らも実践したい。なかでも、個人が個性を発揮して生きることをメインテーマに据えたいと考えています。

2014年07月

徳義と智恵、あとは何?

文明論之概略 (岩波文庫)
福沢 諭吉
岩波書店
1962-11




ちびちび更新することに。

徳義は一人の心の内に在るものにて他に示すための働に非ず。脩身と云ひ慎独と云ひ、皆外物に関係なきものなり。

(中略)

智恵は則ち之に異なり。外物に接して其利害得失を考へ、此の事を行ふて不便利なれば彼の術を施し、我に便利なりと思ふも衆人これを不便利なりと云へば輙(すなは)ち又これを改め、一度び便利と為りたるものも更に又便利なるものあれば之を取らざる可らず。

(中略)

徳義は一人の行ひにて、其功能の及ぶ所は先づ一家の内に在り。

(中略)

智恵は則ち然らず。一度び物理を発明してこれを人に告れば、忽ち一国の人心を動かし、或は其発明の大なるに至ては、一人の力、よく全世界の面を一変することあり。


(福沢諭吉『文明論之概略』)
 

「徳義」と「智恵」
の違いについて、
まとめられています。


この福沢先生の道徳観は
カントのものに近い。
・・・たぶん。


そして、
「智恵」に対する信頼の厚さは
この時代ならでは。


現代においては、
徳義とも智恵とも異なる
第三の、また新たな能力が

必要とされるのではないか。


徳義でも智恵でもないもの・・・。

そして、今度はきっと
能力ではないもの。


例えば、信条。

とか?


または、愛

とか?


もしくは、

夢?覚悟?絆?


例えば、ですが。



皆さんは、何だと思いますか?





 

福沢諭吉『文明論之概略』を読んで(その2)

文明論之概略 (岩波文庫)
福沢 諭吉
岩波書店
1962-11



本文の引用は
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/bunmeironnogairyaku.html
による。

○●○●○●○●○

文明とは人の安楽と品位との進歩を云ふなり。又この人の安楽と品位とを得せしむるものは人の智徳なるが故に、文明とは結局、人の智徳の進歩と云て可なり。

本書の主題である
『文明』の解釈。

智徳ドリブンである
というところに

当時=近代の
時代性が出ている。

○●○●○●○●○

抑も此国(注:アメリカ)の独立せし由縁は、其人民敢て私を営むに非ず、敢て一時の野心を逞ふするに非ず。至公至平の天理に基き、人類の権義を保護し、天与の福祚(ふくそ)を全ふせんがためのみ。其趣旨は当時独立の檄文を読て知る可し。況や其初め、かの一百一名の先人が千六百二十年十二月二十二日風雪の中に上陸して海岸の石上に足を止めし其時には、豈一点の私心あらんや。

現代日本においても、
未だ実より名を重んじて、
政争に明け暮れること
多いと聞く。

もしそうなら、福沢先生には
恥ずかしくて見せられない。

しかし、本書を通じて
伝わる先生の考えでは、

政府の堕したるも
国民の落ち度。

かつ、太閤秀吉とて
初めから天下取りを
目指したるに非ず。

まずは一歩ずつでも
個々人が民間から
変革を志すべき、と。

○●○●○●○●○
昔木下藤吉主人の金六両を攘て出奔し、此六両の金を武家奉公の資と為して始て織田信長に仕へ、次第に立身するに従て丹羽柴田の名望を慕ひ、羽柴秀吉と姓名を改めて織田氏の隊長と為り、其後無窮の時変に遭ひ、或は敗し或は成り、機に投じ変に応じて、遂に日本国中を押領し、豊臣太閤の名を以て全国の政権を一手に握り、今日に至るまでも其功業の盛なるを称ぜざるものなし。然りと雖ども初め藤吉が六両の金を攘て出奔するとき、豈日本国中を押領するの素志あらんや。既に信長に仕へし後も僅に丹羽柴田の名望を羨て自から姓名をも改めたるに非ずや。其志の小なること推て知る可し。故に主人の金を攘て縛(ばく)に就かざりしは盗賊の身に於て望の外のことなり。次で信長に仕て隊長と為りしは藤吉の身に於て望の外のことなり。又数年の成敗を経て遂に日本国中を押領せしは羽柴秀吉の身に於て望の外のことなり。今此人が太閤の地位に居て顧て前年六両の金を攘みし時の有様を回想せば、生涯の事業一として偶然に成らざるものなく、正に是れ夢中又夢に入るの心地なる可し。

最後の一文は、
因果律にも言及あり、
 
かの有名な
ジョブスのスタンフォード大
での講演にも通じるものがある。


太閤秀吉とて
初めから天下取りを
目指したるに非ず。

志無くては身が立たない
のも事実だが、

立場が志を育てることも
あるのも事実。

ちとえ小さな志でも、
理屈より行動を。


大志ある者とて必ずしも大業を成すに非ず、大業を成す者とて必ずしも幼年の時より生涯の成功を期するに非ず、仮令ひ大体の志操は方向を定るも、其心匠と事業とは随て変じ随て進み、進退変化窮りなく、偶然の勢に乗じて遂に大事業をも成すものなりとの次第を記したるなり。




○●○●○●○●○

孔孟の用ひられざるは周の諸侯の罪に非ず、諸侯をして之を用ひしめざるものあり。楠氏の討死は後醍醐天皇の不明に非ず、楠氏をして死地に陥らしめたるものは別にこれあり。蓋し其これを、せしめたる、ものとは何ぞや。即ち時勢なり。即ち当時の人の気風なり。即ち其時代の人民に分賦せる智徳の有様なり。

その人が
「世界をどう捉えているか?」
は個人的には大きな関心事。

ここなんかは、
福沢先生の世界観を表す
大変興味深い一節。

スピノザの汎神論にも
似ているが、

時勢と公衆の力が
その因果律を含めて
認められていて、

神即ち「文明」
とでも言うべきか。

私個人の思想では、

公衆の意志や可能性
というものは

先生ほどには認め難い。


が、それも
時勢とやらなのかもしれない。


○●○●○●○●○

長くなるので更新を分けます。

 

 

福沢諭吉『文明論之概略』が今読んでも凄い

文明論之概略 (岩波文庫)
福沢 諭吉
岩波書店
1962-11



本文の引用は
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/bunmeironnogairyaku.html
による。

○●○●○●○●○
何れの国にても何れの時代にても、一世の人民を視るに、至愚なる者も甚だ少なく至智なる者も甚だ稀なり。唯世に多き者は、智愚の中間に居て世間と相移り罪もなく功もなく互に相雷同して一生を終る者なり。此輩を世間通常の人物と云ふ。所謂世論は此輩の間に生ずる議論にて、正に当世の有様を摸出(もしゆつ)し、前代を顧て退くこともなく、後世に向て先見もなく、恰も一処に止て動かざるが如きものなり。然るに今世間に此輩の多くして其衆口の喧しきがためにとて、其所見を以て天下の議論を画し、僅にこの画線の上に出るものあれば則ちこれを異端妄説と称し、強ひて画線の内に引入れて天下の議論を一直線の如くならしめんとする者あるは、果して何の心ぞや。若し斯くの如くならしめなば、かの智者なるものは国のために何等の用を為す可きや。後来を先見して文明の端を開かんとするには果して何人に依頼す可きや。思はざるの甚しきものなり。


○●○●○●○●○
故に昔年の異端妄説は今世の通論なり、昨日の奇説は今日の常談なり。然ば則ち今日の異端妄説も亦必ず後年の通説常談なる可し。学者宜しく世論の喧しきを憚らず、異端妄説の譏(そしり)を恐るゝことなく、勇を振て我思ふ所の説を吐く可し。或は又他人の説を聞て我持論に適せざることあるも、よく其意の在る所を察して、容る可きものは之を容れ、容る可らざるものは暫く其向ふ所に任して、他日双方帰する所を一にするの時を待つ可し。即是れ議論の本位を同ふするの日なり。必ずしも他人の説を我範囲の内に籠絡して天下の議論を画一ならしめんと欲する勿れ。


○●○●○●○●○

文明について。

 第三 天地間の事物を規則の内に籠絡すれども、其内に在て自から活動を逞ふし、人の気風快発にして旧慣に惑溺せず、身躬から其身を支配して他の恩威に依頼せず、躬から徳を脩め躬から智を研き、古を慕はず今を足れりとせず、小安に安んぜずして未来の大成を謀り、進て退かず達して止まらず、学問の道は虚ならずして発明の基を開き、工商の業は日に盛にして幸福の源を深くし、人智は既に今日に用ひて其幾分を余し、以て後日の謀を為すものゝ如し。これを今の文明と云ふ。野蛮半開の有様を去ること遠しと云ふ可し。


今日に於いても、
十分に通用する
「知性」ある生き方。


この先に、
規則を脱臼した、
確率や感性による、
ポスト現代の生き方がある
といったところか。


ところで、当時の、
しかも洋学者としては
尤もかと思うものの、

全体的に、
福沢先生の歴史観は
西洋的な「進化」するという
精神が強い。

このあたりも今日においては
考え方を分かつところだろう。

○●○●○●○●○

日本人の義務について。
故に国体とは、一種族の人民相集て憂楽を共にし、他国人に対して自他の別を作り、自から互に視ること他国人を視るよりも厚くし、自から互に力を尽すこと他国人の為にするよりも勉め、一政府の下に居て自から支配し他の政府の制御を受るを好まず、禍福共に自から担当して独立する者を云ふなり。

中古王室にて政権を失ひ又は血統に順逆ありしと雖ども、金甌無欠の日本国内にて行はれたる事なればこそ今日に在て意気揚々たる可けれ、仮に在昔魯英(露英)の人をして頼朝の事を行はしめなば、仮令へ皇統は連綿たるも日本人の地位に居て決して得意の色を為す可らず。鎌倉の時代には幸にして魯英の人もなかりしと雖ども、今日は現に其人ありて日本国の周囲に輻湊(ふくそう)せり。時勢の沿革、意を用ひざる可らず。

 此時に当て日本人の義務は唯この国体を保つの一箇条のみ。国体を保つとは自国の政権を失はざることなり。政権を失はざらんとするには人民の智力を進めざる可らず。

我国の皇統は国体と共に連綿として外国に比類なし。之を我国一種、君国並立の国体と云て可なり。然りと雖ども、仮令ひこの並立を一種の国体と云ふも、之を墨守して退くは之を活用して進むに若かず。之を活用すれば場所に由て大なる功能ある可し。故に此君国並立の貴き由縁は、古来我国に固有なるが故に貴きに非ず、之を維持して我政権を保ち我文明を進む可きが故に貴きなり。物の貴きに非ず、其働の貴きなり。


このあたりは現代日本人にも
大変に耳が痛い箇所では。


我が国は、先人達の御蔭で、
自国の「政権」こそ
失っていないものの、

真に「独立」しているといえるか
は大変に怪しい。


まして、
金甌無欠の国体を「活用」して、
自らの文明を進化させ続ける
には遠く及んでいない。


形式上でも兎に角、
「存続する」ことが第一
の時代もあって良いが、

その時代は過ぎたと言うべき。


人類絶えず進化を続けるべし
とまでは信じられないが、

「独立自尊」は国家国民にも
当てはまるもので、

目標というよりも
当然に備えるべき必要条件。


万世一系の皇統さえも
その働きに価値ありとする
福沢先生の考えは、

スピノザの宗教観にも
通じる。
 

今こそ次の段階へと歩を進め、
先人達の遺してくれた
土台(ハード)に、

無類の文明(ソフト)を築き、

以って、
国際社会に貢献すべき時。


進化するとかしないとかは
正直どちらでも良いけれど、

「お客さま」 気分を捨てて、
独自の文明でもって
世界を「もてなす」べき時
が来ていると感じる。
 

 
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自己紹介
ユーゴスラビア生まれ。理工学部を卒業後、A.T.カーニーに入社。様々な業界のコンサルティングを手がけた後、エブリスタ立上げに携わり、同社代表取締役社長に就任。15年3月末に退任し、現在はメディア企業のデジタル戦略コンサルを手がける。グロービス経営大学院「ネットビジネス戦略」講師。
このブログについて
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