(恐らくは編集者の狙い通り)
物議を醸したタイトルである同書。

AKBファンの若手論客濱野氏が 
AKBをどう見ているのかに興味が沸いて
遅ればせながら読んでみたので
メモを残す。

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(以下、要約)

・AKBは、資本主義によって「疎外」された人々を
「救済」する、「会いに行ける」近接性を有する

・この近接性は、握手権付きのCDの販売
といった資本主義に徹底的に則る形で、
資本主義を批判するのではなく
「ハックする」形で提供されている

・ファンがメンバーとの「関係性」の獲得・積上げ
を目的として活動する認知資本主義をベースにしつつ、
「偶然性」によってその富を確率的に再配分する
リベラルな挑戦も行われている

・こうした特徴を持つAKBのシステムが
ファンがメンバー を「推す」ことを可能足らしめており、
ファンはメンバーを推すことで、充実感を持って
「誰かのために」生きることができる

・「誰もが依拠できる安定的な世界観」が
失われる中で、このように生きがいを提供している
AKBは宗教的強さを持つ

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(以下、所感)

勉強になる切り口が多く、AKBファン以外にも
時代性を感じとる参考書として一読をおすすめしたい。

AKBというシステム・装置に対する考察には納得。

一方で、「前田敦子はキリストを超えた」かどうか
についてはやはり違和感を覚えるし、
実際、同書の中でも、納得ゆく説明はさほど
行われていないように思われる。

このタイトルは本の売上のためにつけられたものだから、
それほど気にしなくても良いかもしれない。

しかし、もしAKBが一神教ではなく
多神教である点が重要なポイントだとしたら、
やはりこのタイトルは不適切である。

確かに、前田敦子の持つストーリーは、
AKBの強さを代表しているし、象徴的だ。

「私のことは嫌いでも……」発言に代表される
アンチとの関係性、献身的な滅私の精神や、

本人の希望や覚悟とは関係なくセンターに抜擢されて
鍛えられ、フラフラでも立ち続ける使命感は、

確かにファンが「誰かのために」生きるための
「誰か」になるための必要条件だろう。

しかし、こうした物語は実は、彼女ひとりだけが
持っているものでは無い。
前田敦子はあくまで象徴であり、重要なのは
重要なのはAKBが宗教的に支持されているということ、
及び
その要因のひとつはAKBが「多神教」であること
だったように思う。