営業部に異動してからの田端くんのキャリアは、前途洋々というわけには行かなそうである。

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 上司という生き物は鬱陶しいものだ。

 莫大な量の仕事を振ってきて、残業するなと言ってきたり、部下には取引先に嫌なことを言う役を散々させておいて、自分はいい顔をしたりする。「根拠を言え」「言い訳をするな」「いいからやれ」「鵜呑みにするな」…理不尽にもほどがある。それに加えて、面倒くさい取り巻きの連中もいて、本当に会社という場所は仕事に集中できない。

 しかし、立場が変われば思うことも変わるもの。上司には上司の立場がある。自分が上司の立場だったらどうだろうか。 

 スマホ小説ではよく、「一人称多視点」の小説がある。特に恋愛ジャンルで多い。

 例えば花子と太郎の恋愛ストーリーだったとしたら、「花子side」の章では、太郎にほのかな恋心を寄せる花子の物語が彼女の心の内面とともに描かれるが、「太郎side」の章では、物語が太郎の一人称で展開する。そこで例えば、花子から見ると素っ気ない態度をとっているように見えた太郎だが、実は太郎のほうも花子が気になっている、ということや、部活動の男友だちの前でそれを表せない事情がある、ということがことが明かされる。

 「山手商事」のストーリーでも、上野部長sideがあったらどうだろう。

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(上野部長side)

気がつけば神田さんの会社に移って十五年になる。
 
 当時三十四だった俺も、もうすぐ五十になる。ということは、神田さんはもう五十五だ。

 始めた頃は、こんなに長く続くとは思わなかったが、ここまでになるんだから、もちろん俺も頑張ったけど神田さんはすげえよ。アルバイトで年末年始の手伝いをしたことから始まって、俺は四人目の社員になった。当時は四人だった社員も、今では五十人。最近じゃ大卒の新人も取り始めた。

 この四月にマーケティング部から異動してきたやつもそうだ。なんでも最初の新卒採用だとかいって、人事部長の五反田がえらい大事にしてる。マーケの大崎のところじゃ新人がろくに育たないんで、俺んとこに動かすっちゅう話だ。この会社には、俺のほかにちゃんと人を育てられるやつはいねえ。マーケ部長の大崎なんかまさにそうだけど、最近は頭ばっかりいい人間をとりすぎなんだよな。もう俺もいい歳だしそろそろ引退したいんだけど、そんな状況だから神田さんは墓場まで付き合えっていつもそんな調子だ。

「部長、そろそろ参りましょうか」

 課長の駒込が声をかけてくる。今日は夕方からお台場で行われている輸入家電の展示会に出かけることになっていた。うちも五年前から毎年ブースを出している。

「道すがら、お話がありますので、お車を用意しています」

 この駒込とはもう十年くらいの付き合いになる。お互いあうんで動けるので不自由はないが、抜目のないところがあって心から信用できるタイプとは少し違う。もちろん、仕事の上では信頼しているが、おそらくこいつも心の底から人を信じるってことはないんだろう。そういうタイプのやつだ。

 今回だって、俺は電車で行っても一向に構わねえんだが、台場に行くとき、決まってこいつは車を手配する。俺はそれでも構わねえ。こいつはそれを俺のせいにも自分のせいにもしねえからだ。ちゃんと理由をつけてくる。こいつはそういうやつだ。

駒込:今日は、ビックリカメラの中野常務が来るようですね。

上野:そうか。

駒込:こないだ、商品部の三鷹部長から聞いた話ですと、この秋には異動かもしれないみたいですね。

上野:異動つったって常務だろ。

駒込:はい。

上野:どうなんだ。

駒込:サメトンヌの社長になるみたいです。

上野:何!それはまずいな……。

駒込:はい。

 サメトンヌとは、うちのメーカーである『スピノザ』社のライバル会社でもあるフランスの家電メーカーと一緒にビックリカメラがつくった合弁会社だ。もともと山手商事にとっては逆風だが、この商品部担当の中野常務はバタイユの製品が嫌いで、だからうちの商品をひいきにしてくれていたところがあった。その中野常務がその合弁会社に天下り、となるとそうもいかない。

上野:グループ会社なのにこれまでそっぽ向いてた罰かもな

駒込:さあ……どうでしょう。

上野:うちは困るぞ。どうすんだ。

駒込:安心して下さい。もう手は打ってあります。

上野:さすがだな。

駒込:今日、中野常務にお会いになったら、うちの新商品、QEDが「エントリーモデルだ」というところだけ、強く印象づけをお願いします。
 

上野:なるほどな……。わかったよ。後任の話はあるのか。

駒込:さぁ……、そこまでは私も……。

上野:その顔だと知ってるな。

駒込:知りません!部長に隠し事したりしませんよ。

上野:それもそうだな。まあ、そこも含めて頼むよ。

駒込:もちろん、そこは心得てます。

上野:ところで、お前に預けた大崎のとこにいたあのガキはどうだ。

駒込:いやあ、使い物になりませんね。 
 
 車内での上野と駒込の話題は、自然と田端のことに移っていく。
 
(つづく)