今さらですが、読みました。

批評家という職業は、

クリエイターや事業リーダーとは
対極にあって、

そうした実行者の側からすると、

ともすれば
後方の安全な場所から
好き放題にケチをつける

非生産的な存在、

として映ることもあるだろう。

しかし、この本を読むと、
批評家にもプロがいることがわかる。


宇野氏やサブカル批評に
それほど馴染みのない方に
簡単に紹介しておくと、

宇野氏はアニメとか
アイドルとかゲームといった
サブカルチャーの評論で有名な人で、

本書はダ・ヴィンチという
雑誌に連載されていた記事を中心に
まとめたものである。

また、サブカル批評というのは例えば、

「震災やAKB以降、
現実がファンタジーより先行している」

とか、

「エヴァQの中では男性社会と
女性社会の対立が描かれている」
といったような

「意味合い」

を作品から抽出し、

それが良いとか悪いとか、
なぜそうなったのかとかを
論じるようなもの。


「呪文を唱えると、
人間と世界の結ばれかた、
関係性が変化する」(同書)

というもの。



宇野氏が本書で扱っている論点を
私が同氏よりずっと下手くそな文章で

ここで述べることには
あまり意味はないと思うので、

内容に興味がある人は、
是非直接本書を読んでほしい。


それぞれの論点について

ひとつひとつ別の切り口
または結論でもって

論じることには意味がある
かもしれないけれど、

それを始めたら
とてもこの記事の中に
収まりそうにないので、

本稿では単に本書の魅力について
簡単に触れて終わりにしたい。



前置きが長くなりました。



私が感じた本書の魅力。

もちろん、
一見関係ない点と点を
つなげてしまうような

切り口の鋭さ
は、ある。


結論にも殆ど納得、
共感できる。


でもそれはみんなが
わかっていることだろうから、


それ以外に2つ挙げたい。

ひとつは、言葉選び


著者の磨かれた感性と
緻密な計算で精選された言葉からは、

批評家という職業が
作家同様に言葉で飯を食う仕事

なのだと思い知らされた。


なるべく客観的に言葉を紡ぐ、
コンサルやジャーナリストとの違い

でもあるかもしれない。


内容は理路整然として
左脳的なのだけれど、


表現は右脳に心地よく届くような。



例えば、

「AKB48という存在が体現する【肯定性】」

「自分の世界(【胎内】)にあらゆる子どもたちを吸い寄せて肥大していく母性」

「想像力が【動員】されていた」

「現在を記述し未来を【書き換え】るポテンシャルを示す危険なシステム」

「アメリカ市民社会を根本から問い直す【射程】を見せた」

「この作品は間違いなく【時代と寝ている】」

「滋子の圧倒的な(おそらくは清盛を上回る)【世界への信頼】」

(同書より。スミ括弧は筆者注)


こうした言葉選びが、
ネットコミュニティの文脈の

ほどよい延長線上にあって


心地よい。


それから、
批評家としての志と覚悟


宇野氏は
大河ドラマ「平清盛」における
「兎丸」と自身を重ね合わせて、

「僕らを必要としている
体制内の改革者たちに

『平家にあらずんば……』

と言わせるのではなく

『海賊王に俺はなる』

と言わせ続けなければならない」(同書)

とし、作品の構造に触れながら

現実世界における
自身の使命感に触れている。



具体的には、


「『昼の世界』からは
見向きもされない『夜の世界』で培われた、

思想と技術――

ここにこの国を変えていく
可能性が詰まっている。

僕たちはそう確信しているのだ」

とし、

「(あたらしい)文化を
つくっていきたい」、

「具体的には、たとえば僕は
都市部のあたらしい
ホワイトカラー層を中心に、

『夜の世界
(※筆者注:サブカルチャーやネット世界)』

を生きる人々の保険や組合を
つくれたらいいな、と思っている」

という。


こうした志と覚悟を持って
行動する批評家に、


「後方からケチをつけるだけ」
という批判はあたらない。


もはや活動家という気もする。


最初の職業として
コンサルを経験したこともあるけれど、


最近特に

コンテンツづくりにおける編集者や
プロデューサーの役割の重要性

を痛感している私としては、

新しいタイプのこの「攻める」

プロ批評家の宇野氏から



目が離せない。