イケガミコフ『21世紀の生存戦略』

新卒外資コンサルからIT企業社長となった著者が、自身の備忘も兼ねて日々の心境を綴るブログ。なるべく毎日更新。読者の皆さんと一緒に21世紀を生き抜く力をつけていくのが目的です。左脳的切り口で右脳的題材でも取扱うことを特徴として、世の中の出来事から、その裏にある時代性を読み解いていければと思います。その上で、時代性に合う生き方、新しい生きる力を提案し、自らも実践したい。なかでも、個人が個性を発揮して生きることをメインテーマに据えたいと考えています。

戦争と平和

全国の長男長女の方々へ

終戦(敗戦)から今日で68年。

酔っ払ってブグを書くのは苦手で
つい筆を滑らせてしまうかもしれないし、

以前書いたこととカブっているところも
多いかもしれないのだけれど、

どうしても、今日という日に書きたくて、
色々至らない点があっても
ご容赦いただきたい。 


といっても、
歴史観がどうのというような話じゃない。 

全国の長男長女の方に、ただ言いたい。

『後ろ向きに前向きな生き方』

もあるかもよ、ということを。


私が過去ばかりを振り返る
後ろ向きな人間で、

全然未来を見ていないってことは
前にも白状したかもしれない。


それからこれを
B型のせいにするつもりはないし
自分ではそんなつもりはないけれど

自分大好きな傾向が
ひとよりちょびっとだけ多いって
うっすら思われているかもしれない。


そんな自分のいち例なので、

勿論、全国の長男長女の方
ぜんいんには
当てはまらないかもしれない。

その前提で。



私の場合は、


それまで積み上げてきた
自分の過去を裏切りたくない

とか

家族とかお客さんとか
周りの期待を裏切りたくない

とか、

・・・・・・したくないってことが
大きなモチベーション。


これって、とっても後ろ向き
ですよね。

でも、その圧力を
跳ね返そう、乗り越えよう
とすることが、

大きなモチベーションになってる
という点では、

ある意味前向きだと思う。


その延長線上で、

自分という存在を、
例えば「日本人」という共同体
まで広げて、

自分の過去を
日本の過去にまで伸ばして
考えてみると、


戦争を乗り越えて、

開戦よりも苦しい終戦の判断をし、
それを受け入れて、

この国を建て直して下さった

偉大な先輩方に感謝することは

過去の自分に感謝することや
自分に期待してくれる周囲に
感謝することと同じくらい、

大きなエネルギーになる。


共同体の単位は別に、

日本でなくとも、母校でも、
家族でも、地球でも、

何でも人それぞれでいい
と思う。


こんな風に、

圧力を活力にして

後ろを向いて前に進む
背面走行のようなスタイルは、


特に長男や長女の方には
少しはご理解をいただけ
るのではないか?

と思う。



そういう観点から、
この日このタイミングなので、

ご興味があれば
こちらをオススメします。

まずは、終戦の詔勅。

終戦の詔勅(玉音放送)口語訳

※ちょうど、はてブ人気で
フィードされてきていました。


それから、この映画



※本もあります。


いずれも、

とんでもなく重たいもの
背負わされます。

だが、それがいい。


先輩方が命を賭して渡してくれた
バトンを、少しでもいい形で
次に繋ごうと、

後ろ向きに気重に、

長男長女らしく、

頑張っていこうじゃないですか。



もちろん、

長男長女でなくとも、

夢の帆を上げて
新しい船を出し、

ファーストラビットになろうと、


世界ではじめてのことを
やってやろうと思っている

方々も、


世界の長男、時代の長男
かもしれませんので、

是非、
おんなじモチベーションで

背面走行で、


頑張っていきましょう!!

 

(続)昭和天皇独白録に見た、優れたリーダーの5要件

昨日の記事からの続きです。



昭和天皇独白録 (文春文庫)
昭和天皇独白録 (文春文庫) [文庫]

 

3.本質を捉える

同書の聞書の中で、
昭和天皇が様々な出来事に対して
鋭く本質をついていることに驚いた。


例えば、

日米戦争は油で始まり油で終わつた様なものである(同書)

ここからさらに
なぜ石油の輸入を止められたのか?
へと考察は及ぶ。

それから、開戦に向かっていく
当時の日本の状況を評し、

陸軍は主戦論で押し通してゐるが、
海軍の方で、どうしても戦は出来ぬと云ふ事ならば
強いて戦はせぬといふ肚である。

海軍は戦は出来ぬ事はないが
二年以后になると、
戦は戦術、戦略の問題でなく、
財政経済の国力の問題となるのだから、
和戦の決定は総理大臣に一任するという肚である。

(同書)

とあるが、
これは以前の記事、


にまとめた通りの内容だ。

さらに昭和天皇は、
敗戦の原因として、

情報不足、
精神主義への傾倒、
陸海軍の不一致、
リーダー不在の4点を挙げている。

特に、リーダー不在については、
「第一次大戦の独国の如く」
と述べておられて、


にまとめた通りである。

これくらいの理解は
当たり前と思うかもしれないが、

後世の歴史家が後々分析して
述べている構造的な問題を、
終戦の1年後にズハリ
言ってしまっているのだ。

このような本質を捉える能力は
リーダーに必須であろう。


4. 主戦場を決める

 
同書では、
三国同盟に反対だった昭和天皇が、

その締結を巡って秩父宮殿下や
板垣陸軍大臣と衝突したこと
なども触れられているが、

誰と組んで誰と戦うかは、
リーダーが采配を揮うべき
重要な事柄だ。

それは即ち、
どこを主戦場とするか
ということでもある。

同書聞書きの後半部分には、
どこを防衛するかについて
意見を述べている場面もある。

また、
主戦場を決めることに付随して、
資源配分の問題がある。

これについても、例えば、

石原莞爾が、
対ソ連に兵力を割く余り、
上海の兵力が手薄に
なっていることに対して
増強を督促した

という話が出てくる。

どう戦うか?ではなく、
 
どこで誰と戦うか?

そのために、

どのように資源を配分するか?

を考えられることが、
リーダーの第4の要件であると思う。


5. ビジョンを示す


これについては、
同書から学ぶことは難しい。

同書では昭和天皇が
戦前から終戦にかけて
どのようなビジョンを描いていたのか
は論じられていないし、

もしかしたら、昭和天皇は、
『立憲政治下に於る立憲君主として』
ビジョニングは内閣に任せていたの
かもしれない。

しかし、
敢えて5つ目として、
ビジョンを示すこと
を掲げたい。

結果として、当時の日本に
しっかりとした展望が無かった
ことはよく指摘されていることで、

きっとそうだったろうと思う。

四方八方に戦線を拡大した
日本には、
 
ドイツ統一に向かって
それ以外の無駄な戦いは
しなかったビスマルクのような
ビジョンはなく、

セクショナリズムがあった
だけだったと思われる。

其々のセクションでは
それなりにビジョンを持った
リーダーが登場するが、

組織構造上、
国家のリーダーが不在
(首相も各大臣や統帥部の長と並列!)
であるため

それが長続きしないか、
統一した国策とならない。

その様子は同書でも
くっきりと描かれている。

そこで5つの要件の最後に
反面教師として、

ビジョンを示す力を
付け加えておきたい。


昭和天皇独白録に見た、優れたリーダーの5要件

昭和の日(旧天皇誕生日)に因んで

昭和天皇独白録 (文春文庫)

昭和天皇独白録 (文春文庫) [文庫]

を読んでいたら、

参考)昨日の記事:『昭和天皇独白録』


ちょうど先週、書いていた

ドイツ参謀本部の崩壊―求められるリーダーとスタッフの絶妙なバランス

とも関連して、

優れたリーダーのあり方
を考える上で
大変参考になることが
多かったので、

書き留めておきたい。

※なお、くどいかもしれないが

この聞書自体は、
昭和天皇が終戦の1年後に
語ったものを記録したものであり、

戦前・戦時中、リアルタイムでの
昭和天皇の判断の妥当性とか
リーダーとしての適格性とか
そういったことを
検証したいわけではない。

其れとは関係なく、
リーダーの思考法として重要な点
を教えてくれると考えている。

1.哲学を貫く


昭和天皇は、臣下に
「政治は憲法を基準にしてやれ」
と指導する一方、
自らも立憲君主国の元首である
という立場を貫いたようだ。

また、同書では、
徹底して条約違反を嫌う
昭和天皇が、ドイツとの単独不講和を
確約した以上それを守らざるを得ず、
それが後々まで尾を引いたことなど
も記されている。

短期的には良し悪しあるものの、
自分が何を重んじる人間かを知り、
その姿勢を貫くことで、

最終的には救われることが
多いように思う。

自らの哲学を貫くことは
優れたリーダーの要件だろう。

2. 人を見る


反対に、自らが其の哲学を貫く以上、
他者を見る目も自然とそうなる。

相手が何を重視する人間かを知り、
敵味方を見極める。

「どうしても梅津か畑を大臣にするようにしろ。たとえ陸軍の三長官が議を決して自分の所にもってきても、自分にはこれを許す意志はない。(『西園寺公と政局』、同書中で引用)
このような人を総理大臣にしてはならぬと思ふ(同書)

この時、リーダーが最も嫌うのは
自らの哲学を貫けない人物だ

板垣は完全に軍の「ロボット」となつて終わつた(同書)

小磯は私が忠告するとすぐに云ふ事をきく。それでゐて側から云はれる直ぐ、ぐらつく。つまり肚もなく自身もない(同書)

など、昭和天皇の評も厳しい。

昭和天皇が
具体的に意見を述べられる事は
稀だったようだが、

人事については意外なほどに
意見を述べておられたようだ。

この話を書きながら、
昔、ジャック・ウェルチの自伝を
読んだ際に、

GEが後継社長を選ぶ際に
もの凄い時間と労力をかけること、

社長の仕事のかなりの部分は
アサインメントであること、
と書いてあったことを
思い出した。


人を見て、人を選び、
適材適所に置く力は、

リーダーにとって大変
重要な能力だ。


 ★ ★ ★

明日へつづきます



天皇陛下からの信任厚かった米内光政
画像:wikipedia




 

『昭和天皇独白録』

昭和天皇独白録 (文春文庫)
昭和天皇独白録 (文春文庫) [文庫]

読んでみた。

本日(0時を回ってしまったので
それはもう昨日のことであるが)は

昭和の日(旧「天皇誕生日」)
であったので、

其れを機会に読んでみたものだ。

同書を読んでみての
私の個人的な気づきを
3点ほど記しておく。

私たちが余りにも無知であること


まずは
昭和天皇の軍政両略に対する
関わり方について、

私(及び恐らくは大多数の若者)
が知らな過ぎるということである。

同書に拠れば、
『木戸日記』や『本庄日記』等により
同書以前に明らかにされている
事柄も多いようだが、

私にとってはあまり馴染みが無かった。

両親や祖父母の世代と比べても
私の世代の之に対する理解度は
低いように思える。

今日、憲法改正が多少なりとも
現実味を帯びてきている中で、

私たちの御先祖が、
とのように国家を運営してきたか
を知ることは重要であろう。

これを機会に複数の文献に当たり、
見識を広めたいと思った次第である。

(注:二二六事件について)

叛軍と断じ、経済を心配し、鎮圧を命ずる昭和天皇。
そのときの天皇の強い意志と直接的な統率は、
『木戸日記』 『本庄日記』などでひろく知られている。

(同書注意書きより) 

リーダーが志を果たせる国にするために

続く2点目と3点目は、
1点目に従属するものであり、

見識を広めるにあたって
どのような観点を持つのが良いか
について個人的な所感を述べる。

まず、リーダーがその能力を
十分に発揮できる仕組みの構築
という観点である。

私は、これまで、
どちらかというと昔も今も日本は
リーダー不在の国であって、

これからは優れたリーダーを
育成することが肝要だ
と考えていた節があった。

しかし、同書をきっかけに、

優れたリーダーがいても、
仕組みがそれを活かせなければ

結果としてリーダーシップは
行き渡らない

ということを実感してしまった。


同書の巻末の座談会でも
触れられているように、

この聞書(独白録)が
どのような意図を持って
記されたものであるかによっては

聞書の内容の真偽に疑義が及ぶ
こともあるだろうし、

ほぼ真実であったとしても、
終戦直後の昭和天皇の認識であって
当時の日記ではないのだから、

昭和天皇のリーダーとしての
適格性を議論すること
は私の本意でないし、
容易に結論が出るものでは
無いだろう。

一方で、
もし昭和天皇が積極的に
リーダーシップを発揮しようと
していた場合に、

内閣及び統帥部の末端まで
それが徹底されたか?

については
疑問の余地が大きい
のではないか。

昭和天皇は憲法を重んじ、
立憲君主制を貫いた。

其れが同書にあるように
『クーデタ』(即ち国民の分裂)
を憂慮して本人の希望に反して
そうせざるを得なかったものなのか

積極的にその姿勢を貫いたものか
によらず、
結果として、

昭和天皇が強硬に
リーダーシップを発揮する
ことは殆どなかった。

その事実を踏まえると、
リーダーシップが
正しく発揮されなかったことの
要因として、

リーダーに適格な人間がいたかどうか
だけでなく、

リーダーが正しく指揮・命令できる
仕組みが無かった、
または
そもそも、リーダーという
ポジションが無かった、

という点が問題であると気づく。

日本はもともと
いい意味でも『換骨奪胎』が
得意な国だ。

経営判断が、
現場で都合よく判断される。

もっと悪く言うと、
ミドルマネジメントが、
セクショナリズムに突き動かされて、
トップをないがしろにする。

こういうようなことは、
企業経営にも起こりうる。

 
また、 
今後、改憲に向けた議論が
ますます盛んに
行われるようになった場合、

直接選挙制についても
議論が及ぶことも考えられる。

その際に、
リーダーがその志を実現する
ために必要な仕組みについて、

私たちもしっかりとした考えを
持っていなくてはならないだろう。

所謂御前会議といふものは、おかしなものである。枢密院議長を除く外の出席者は全部既に閣議又は連絡会議等に於て、意見一致の上、出席してゐるので、議案に対し反対意見を開陳し得る立立場の者は枢密院議長只一人であつて、多勢に無勢、如何ともなし難い。
全く形式的なもので、天皇には会議の空気を支配する決定権は、ない。
(同書独白録より)


『過ちは繰り返さない』と思うなら

同書独白録の
読み物としての魅力は、

巻末の座談会でも
其の点では意見の一致を
みているように

昭和天皇の人間くささ
であると思う。

特に、人物評については、
木戸内大臣の影響が
如何程にあったかはさておいて、

率直で歯に衣を着せないもの
が多く、座談会の専門家をして
「平沼さんは気の毒だ」
などと気を遣わせているほどだ。

人事(アサインメント)は
リーダーの仕事の中でも
ビジョニングに次ぐくらい
重要な仕事であるから、

リーダーとしては
人物評もはっきりしていた方が
良いとは思うが、

それのひとつひとつが
妥当であったかは
今の私には判断がつきかねるので
ひとまず追究は避けたい。

一方で、

誰がしたどの判断が、
結果としてよかったのか?
悪かったのか?

についての研究は必要だと思うし、
もっと勉強したい。

これは、まあ言葉にすれば
至極当たり前のことではあるが、

昭和天皇が軍政両略に
様々な強い意志を持っていたが
聞き容れられなかったと、
同書独白録にあることが、

私の不勉強もあって
私にとっては大変新鮮であり、
改めて、何が正しかったのか
を知りたくなった次第である。

これは決して戦勝国に
押し付けられた裁判結果でなく
我々が自らが戦犯を
明らかにすべきだ!
という感情的な話ではなくて、

これからの我が国あるいは
人類の進歩を希求する上で、

客観的に正しかった意思決定と
誤った意思決定

理由とともに仕分けておく
ことが必要だと
改めて感じたものである。

「元来陸軍のやり方はけしからん。
(中略)
今後は朕の命令なくして一兵でも動かすことはならん」
(同書中、『西園寺公と政局』からの引用)



関連映画『日本のいちばん長い日』
画像:http://meiga368.blog28.fc2.com/blog-entry-268.html






ナポレオンはなぜ敗れたか?―辞書に不可能の文字はあった方が良い

ドイツ参謀本部-その栄光と終焉 (祥伝社新書168)
ドイツ参謀本部-その栄光と終焉 (祥伝社新書168) [新書]

読んでいる。

本書前半の
プロイセン参謀本部勃興の
部で重要なのはただひとつ、

参謀総長グナイゼナウ
が中心となったプロイセンが

天才ナポレオンが率いた
フランスを破った
というところ、

ここだけだ。

ドレスデンとライプツィヒ
の戦いでは、

ナポレオン自身の率いた軍は
6戦全勝しながらも、


50万のフランス軍は
10万に減り、

その後もナポレオンは
14戦11勝と圧倒的勝率を
誇ったが、

パリは陥落した。

皮肉なことに、その背景には、
彼自身が招いた
「無制限戦争」の時代における
戦争のルールの変化があった。

 ★ ★ ★

ナポレオン以前においては、
戦争は「君主のチェッカー・ゲーム」
であり、兵士は君主の「高価な玩具」
であったという。

戦争は礼儀を守って行い、
互いに士気の低い兵士たちを
逃亡させないよう、効率よく行う
「制限戦争」の時代だったようだ。

それが、フランス革命以降、
国民のために国民が
総力を挙げて戦う
「無制限戦争」の時代に突入する。

スポーツのような戦争から、
相手の息の根をとめるまで
行う戦争へと変化するわけだから、
当然勝ち方も変わってくる。

それでナポレオンは『師団』という
部隊を運用する単位(モジュール)
を発明する。

彼が師団長へと指示を下し、
あるゆる兵科をもった各師団が
独立に行動できるようにすることで、

天才の作戦を
最大限にレバレッジする
スピード感のある柔軟な用兵が
可能となったのだった。

と、そこまでは、良かったのだが、

規模の拡大への対応策は
それだけでは不十分
だった
ことが明らかになる。

この「師団」という戦術単位を
意のままに指揮できる天才は
フランスではナポレオン以外に
いなかったのだ。

それでは10万を超えるような大軍は
到底管理できない。

そのため、
シャルンホルストやその後を継いだ
グナイゼナウといった、
新しいルールに強い指導者と、

参謀本部という
新しいルールに強い仕組み
を有するプロイセンに敗れたのだ。

プロイセンは
参謀本部を常設することで、

有事以外の時でも、
戦術単位を束ねる
戦略単位の運用方法を練り続けた。

また、有事に備えて
戦術単位を運用できる参謀
の育成に取り組んだ。

そうして、いざ
フランスとの戦争が始まると、

局地的にはナポレオンが
直接指揮する軍隊には
中々勝てなかったものの、

最終的にひとりの天才を
組織(仕組み)の力で打ち破った
のだった。

ナポレオンはロシア遠征の失敗が
彼の凋落のきっかけとなったことは
良く知られているが、

その後こうして
プロイセンに敗れた背景に、

競争のルールの変化
それへの対応の違いがあったという
ことはあまり知られていない。

これは、
現代の経営にも活かされるべき
歴史の教訓である。

 ★ ★ ★

ところで、実は
この本の魅力は、

実はその後
モルトケとビスマルク登場後の
プロイセン躍進の部に
あるように思う。

なので、次回はそれを紹介したい。 



 
5月17日にビジネス書発売!
自己紹介
ユーゴスラビア生まれ。理工学部を卒業後、A.T.カーニーに入社。様々な業界のコンサルティングを手がけた後、エブリスタ立上げに携わり、同社代表取締役社長に就任。15年3月末に退任し、現在はメディア企業のデジタル戦略コンサルを手がける。グロービス経営大学院「ネットビジネス戦略」講師。
このブログについて
▼新卒外資コンサルからIT企業社長となった著者が、自身の備忘も兼ねて日々の心境を綴るブログ▼なるべく毎日更新▼読者の皆さんとご一緒に、私自身も「21世紀を生き抜く力を」つけていくのが目的です▼「左脳的切り口で右脳的題材も取扱う」ことを特徴に、世の中の出来事からその裏にある「時代性」を読み解いていければと思います▼その上で時代性に合う生き方、新しい生きる力を提案し、自らも実践していきます▼なかでも「個人が個性を発揮して生きる」ことを中心テーマに据えたいと考えています。
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ