イケガミコフ『21世紀の生存戦略』

新卒外資コンサルからIT企業社長となった著者が、自身の備忘も兼ねて日々の心境を綴るブログ。なるべく毎日更新。読者の皆さんと一緒に21世紀を生き抜く力をつけていくのが目的です。左脳的切り口で右脳的題材でも取扱うことを特徴として、世の中の出来事から、その裏にある時代性を読み解いていければと思います。その上で、時代性に合う生き方、新しい生きる力を提案し、自らも実践したい。なかでも、個人が個性を発揮して生きることをメインテーマに据えたいと考えています。

進撃の昭和

昭和という時代について(後編)

前回書いたように

昭和という時代は、

前半は戦争、
後半は経済成長

という整理で語られることが多いが、

実際は、
戦後であってもかなりの部分、

日本人が
昨日でも明日でもなく
『今日』を必死に生き抜いた

時代だったようだ。


 ☆ ☆ ☆

みな、生きていくために何でもやり、

ただ、本当に苦しい人がいれば
支えあって生きたという。


そんな激動の時代を生き抜いた
親戚夫妻にとって、

平成という現代は
大分変わったものに映るようだ。


 ☆ ☆ ☆


いじめや体罰などの社会問題や、
様々な政治問題などを例に、

「どちらが正しい
ということは無いけれど、

今はそういう時代でもないもんね」

というおばさん(仮)の一言が
印象に残った。


勿論、当時も様々な問題があったという。

それらの問題は、
当時は「公然と」(当たり前に)
そこにあって、

それでも、それよりも

生活に関わるもっと重要な事柄に
みなが一丸となって向かっていた、

そういう時代のようだった。


 ☆ ☆ ☆


なるほど、ぼくたちは少し
豊かになりすぎたのかもしれない。

今日という日の生活を
気にしても良くなったので、

他のことが気になって仕方ない。



そうした、当事者意識無く、
安全な場所からの、上から目線の、

一見正しくて、
でも実はエゴに溢れた、

ニセモノの思いやりが

今の日本を息苦しくしているのかも
しれないと思った。



暇を持て余した神々の遊び――。

願わくば、
他人を巻き込んでほしくないものだ。


 ☆ ☆ ☆

ちなみに
この日からほどなくして、

ぼくは足を折った。


その初日、
ファミリーマートでレジに並ぶ
ぼくに、

声をかけてくれるお兄さんがいた。


「持ちましょうか?」


イチローに似た感じの
爽やかなスポーツマンタイプの
お兄さんだ。 


普通かもしれない。

でもその日のぼくは普通の
見た目ではなかった。


どう客観的に見ても、

松葉杖に寄りかかり、
鬼のような形相で

全身から滝のように流れた汗で
足元に水たまりを作っているような

絶対に近づきたくない生物
だったはずだ。


それでも、その人は
優しく声をかけてくれた。


 ☆ ☆ ☆


その後も、

ぼくの代わりに薬局まで
薬を取りに行ってくれ、

薬の説明までしてくれた
タクシーの運転手さん、

羽田空港で
車椅子を押しながら

お土産選びまで手伝ってくれた
グラホのお姉さん、

本当にいろんな方々の
親切にあずかりました。


 ☆ ☆ ☆


これまで健康なときに

タクシーの運転手さんに
「端数負けとくよ」と言われたり、

あるいは逆に

「急いでくれたんで、
お釣りいいです」と
自分のほうが言ったり
するのとは、


何かが根本的に違っていた。



もちろん、これまでの日常で
そうしたやり取りは

それはそれで嬉しかったのだけれど、


今回、助けてもらっていることは
自分にとって、もっと切実なことだ。


同情するなら食べ物を届けてくれ!
とか、

同情するなら薬を取ってきてくれ!
とか、

そういうレベル。


今回、それを見知らぬ人が随分と
助けてくれることが嬉しくて、

何だかその体験は、

昭和の支え合いの話と重なって、
自分の心に染み入った。

  

昭和という時代について

いまから2週間ほど前のことだ。

ぼくは母の誕生日に贈る
サプライズビデオを撮るために、
親戚の家を訪れていた。


ひと通り必要な撮影を終えた後、
ぼくはいつの間にか

親戚夫妻の幼少期の話を
食い入るようにして聞いていた。


 ☆ ☆ ☆


親戚のおじさん・おばさん(仮)は、
戦中または戦後すぐの生まれ
ということだったので、

小学校時代の話だと1950年代、
高校時代の話は60年代
(昭和20~30年代)
といったところだろうか。

たかだか50~60年前の話だ。


それなのに、
日本は相当貧しかったみたいで、

教科書で知るのと、
身近な人から知るのとでは


全然違う。


 ☆ ☆ ☆


苛烈すぎて
ここに到底書けないことも
多いのだが、

差し支えない範囲で例を挙げると、

小学校には
ふんどしに着物、下駄で
通っていて、

学校では
栄養失調にならないように
飴が配られて、

配給通帳でお米をもらい、

高校の同級生に家の無い子も
いたという。


 ☆ ☆ ☆


いや、
戦中や戦後すぐは
確かにそういうイメージだ。

でも、それ以降の昭和というと、
どうしても
「高度経済成長」のイメージが強い。


「(昭和)30年代も
まだまだ貧しかったのよ」

とは

この時、話を聞くまで知らなかった。


ぼくが生まれるほんの20~30年前、
つまり親よりちょっと上の世代でも

日本がそんなにカオスだったとは!


 ☆ ☆ ☆


この日ぼくは、

常日頃、戦中終戦時の先輩方に
深謝することはあっても、

その後の昭和を生き抜いた先輩方に
感謝の念を抱くことが無かったことを
深く反省した。

この人たちのこの努力がなかったら、
今の豊かな日本は無かったのだ――。



肝心の泥くさい話が
あんまり書けなかったので
(内容的に自粛)

説得力がないかもしれないけれど、


それは皆さんが実際に、
まわりの70歳くらいの方に
聞いてみて、確めて欲しい。


平和ボケが吹っ飛ぶかも?





5月17日にビジネス書発売!
自己紹介
ユーゴスラビア生まれ。理工学部を卒業後、A.T.カーニーに入社。様々な業界のコンサルティングを手がけた後、エブリスタ立上げに携わり、同社代表取締役社長に就任。15年3月末に退任し、現在はメディア企業のデジタル戦略コンサルを手がける。グロービス経営大学院「ネットビジネス戦略」講師。
このブログについて
▼新卒外資コンサルからIT企業社長となった著者が、自身の備忘も兼ねて日々の心境を綴るブログ▼なるべく毎日更新▼読者の皆さんとご一緒に、私自身も「21世紀を生き抜く力を」つけていくのが目的です▼「左脳的切り口で右脳的題材も取扱う」ことを特徴に、世の中の出来事からその裏にある「時代性」を読み解いていければと思います▼その上で時代性に合う生き方、新しい生きる力を提案し、自らも実践していきます▼なかでも「個人が個性を発揮して生きる」ことを中心テーマに据えたいと考えています。
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ